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大阪高等裁判所 昭和44年(う)874号 判決

被告人 山城繁 外三名

主文

本件各控訴を棄却する。

被告人山城繁、同円野正弘、同中本章悟に対し当審における未決勾留日数中、各一八〇日を、それぞれ原判決の刑に算入する。

理由

本件控訴の趣意は、被告人山城繁の弁護人竹内勤、被告人円野正弘の弁護人豊岡勇、被告人豆田嘉兵の弁護人武田隼一、被告人中本章悟の弁護人辛島宏、大阪地方検察庁検察官検事横幕胤行各作成名義の控訴趣意書記載のとおりであるから、いずれも引用する。

弁護人豊岡勇の各控訴趣意第一点について、

論旨はいずれも原判決の事実誤認を主張し、先ず(イ)原判示第三の一の事実について被告人らには殺意がなかつた、というのである。しかし、原判決挙示の証拠によれば、原判示事実は証明十分である。すなわち、右の証拠によれば、被告人山城、同円野はいずれも大日本平和系久保組傘下の球友会々員であつたが、被告人山城が外二名とともに、だるまパチンコ店において、かねて右久保組と反目関係にあつた山口組系相沢組準組員山本和夫に対し殴る蹴る等の暴行を加え、加療一週間を要する顔面左肘挫傷を負わせたことに端を発し、これに憤激した相沢組々員が被告人山城らに報復すべく同人等及び球友会々長瑞慶覧長康の所在を探しはじめ、その間久保組若者頭中本章悟と相沢組幹部との話合いによる事態の解決も望み難く、ついに相沢組々員による球友会事務所に対する殴り込み等の報復措置が予測されるに至り、これに備えて、被告人四名を含め、久保組々員、球友会々員ら約二〇名が、猟銃、日本刀を準備して球友会事務所に集合し、中本ら久保組々員が、深夜に至つてあとを球友会会員に任せて引揚げた後も、被告人山城、円野は、球友会幹部伊波秀安、沢岻和正、および豊里友一、豆田嘉兵らとともに、右の兇器を持つて相沢組々員の襲撃に備え、事務所二階において被告人山城が右の猟銃を、豊里、豆田は各日本刀を持つて待機するうち、相沢組々員が乗用車で中本をたずねて事務所前まできたので、被告人円野において中本はいないと答えて帰らせたが、被告人らは、相沢組々員の右行動を目して、同組合員等が球友会、久保組に殴り込みをかけてくるための準備として、その様子をさぐりに来たものと判断し、被告人円野の指揮の下に、殴り込みをうけた時は、被告人山城は右の猟銃を発射し、その他の者は用意した日本刀で応戦し、相沢組々員を殺傷するもやむなしと決意し、待機を続けていたところ、相沢組々員らが二台の乗用車で事務所前に到着するや、これを発見した被告人山城において、「相沢組が二台の車できた」と叫んだので被告人円野らも右事務所二階ベランダに飛び出し、いずれも相沢組々員が殴り込みに来たものと判断し、被告人山城は、相沢組々員を死に致すも止むなしとの決意を以て、実包を装てんした右猟銃を路上におり立つた相沢組々員に対して構え、被告人円野は、とつさに山城と同様の殺意を固め、山城に対し「はよう打たんか、殴り込みやないか」と叫んで発砲を促がし、ここに両名共謀のうえ、被告人山城において、ベランダから約一〇メートル離れた路上の相沢組々員に向け発砲し、更に被告人山城において第二弾の発砲に手間どるや、円野は傍から「しげる、何しとるんか、打たんか、俺にかせ」と言って猟銃を取りあげようとする間に山城は右組員等が乗つて逃げようとする自動車めがけて第二弾を発砲し、うち第一回の散弾を田中歳和(当時二二年)の前額部等に命中させ、よつて脳挫砕等の傷害を負わせ、これに基づく脳機能障碍により九日後に同人を死亡させた事実を認めることができる。ことに、本件にあつては犯行におよんだ事情がいわゆるやくざ団体の抗争であつて、被告人らにおいても、やくざの喧嘩はたま(命)のとり合いだ、と吹きこまれたり、相沢組々員が乗用車で中本をたずねてきて、退去した後、このことを中本に知らせ、中本からどうして発砲しなかつたかと強く叱責された事実が窺われるうえ、犯行に用いた兇器が猟銃、実包であつて、しかも約一〇メートルの距離から数名の相沢組々員のいる方向に向つて発射した事実に照らし被告人らに殺意があつたことは疑う余地がない。次に(ロ)所論は、被告人山城は自分らの山本和夫に対する傷害事件が相沢組対久保組、球友会の抗争に発展し責任を痛感し、組員の逐次集合する雰囲気に呑まれ、思慮分別を失い、相沢組々員を殺害するもやむなし、というような決意と冷静さを有しなかつた、そのことは山城の猟銃操作の不手際を見てもわかる、というけれども、山城が責任を感じたことは、これを推察するに難くないが、中本ら幹部の態度は、山城らのした喧嘩については必ずしも山城らの責任を追及せず、却つて、「山城らの身柄を連れてこい」という相沢組の要求を不当としてこれをしりぞけ山城らを庇護する態度に出ていたことが認められるから、被告人山城において、自責の念にかられ、その場の雰囲気に圧せられ、思慮分別を失うに至つたようなことはとうてい考えられず、所論を支持すべき適切な証拠は何もない。また山城ははじめて猟銃を操作した者で犯行直前に円野からその操作を伝授されたのであるから、その操作に多少の不手際があつたとしても怪しむに足らず、これをもつて山城の殺意を否定することは、できない。次に(ハ)所論は、被告人円野は球友会事務所において、山城、豊里、豆田を指揮統制したことはなく、山城に対し発砲を促がし、あるいは山城から猟銃をとりあげようとした事実はない、というのであるが、右はいずれも原判決挙示の証拠によつて、これを認めるに十分であつて、所論にそう証拠も記録中に散見するが、それは原判決の採用しなかつたところと認められ、結局所論は合理的な理由なくして原審が適法にした証拠の取捨選択を非難するに帰し、採用できない。なお(ニ)所論は、被告人円野の原判示第六事実につき、原判決は円野、山城の共謀による猟銃一丁、実包五発の所持を認定したが、この両名のみによる共謀共同所持という事実は存しないから事実誤認のそしりを免れない、というのであるが、関係証拠によれば、右の猟銃と実包五発は、円野が球友会に喧嘩道具がないため、久保組副組長藤原亀三郎に頼み、同人から貸し出しの承諾をうけ、同人舎弟与那嶺栄康とともに藤原の猟銃のおいてあつた与那嶺方に行き、与那嶺がとり出してきたのを円野がうけとり球友会事務所に持帰り、二階八畳の北側の机の上においておいたもので、借り出しの経過からいつて球友会事務所においては、円野が当初所持したものというべく、次いで円野が山城に猟銃の操作法を実地に教え、山城は一応これを習得し空射も試み、実際に襲撃をうけた時は自分がこれを発射すべきことを感得し、事実そのとおり実行したのであるが、円野もその際傍にあつて発射の指示その他所要の指示をしたことが認められるから、この間は山城、円野両名の共同所持があつたというべく、原判決は右の共同所持の段階を罪となるべき事実として認定したものと考えられるから原判決には何ら事実誤認はない。所論のように球友会幹部伊波和正を架橋として円野、伊波、山城の共同所持を認めるべき証拠はない。その他原判決には何ら所論のような事実誤認はない。論旨は理由がない。

被告人中本章悟の弁護人辛島宏の控訴趣意第一点の二について

論旨は原判示第三の事実につき、被告人中本には殺人幇助の犯意はなかつたというのである。しかし、原判決挙示の関係証拠によれば、原判示事実は証明十分である。すなわち、右の証拠によれば、被告人中本は大日本平和会系久保組の若者頭であつたが、右に説明したとおり、だるまパチンコ店における山本和夫に対する傷害事件に端を発した久保組、球友会対相沢組の対立が悪化するや、中本は相沢組の李組長、中山若者頭らとかねて知合であり、折しも球友会会長瑞慶覧長康が旅行不在中でもあつたから、自ら解決に奔走したが、李らの態度は強硬で、山城繁らの身柄の引渡を要求する等事態解決は望みうすに思われ、かえつて球友会事務所に対する相沢組々員の殴りこみが予想されたので、久保組々員を動員し、球友会々員とともに、猟銃、日本刀等を用意し、襲撃を受けた場合にはこれに応戦する準備を整えて同会事務所に集合したものであつて、同夜一〇時三〇分頃一旦他の久保組々員とともに、あとを球友会々員にまかせて引き揚げたが、引き揚げた先の知人末富隆司方から、球友会事務所に電話連絡したところ、円野から、「相沢組の者が一台の乗用車で、中本さんいるか、といつて訪ねてきたが、いないといつたら、帰つた」旨を聞くや、それは殴りこみのため様子を探りに来たものであると判断し、どうして打たなかつたか、と猟銃を発射しなかつたことで円野を強く叱咤し、このことを同人を介して山城ら球友会事務所にいた同会々員に下達せしめ、以て再度相沢組々員が来た場合には用意の猟銃を発射するなど相沢組々員に対し攻撃を加え、それにより相沢組々員を殺害するも止むなしとの決意を強固にさせ、山城らの前記犯行を幇助した事実が認められる。ことに、被告人中本は、球友会の円野らに喧嘩道具の用意がないことを知るや、自ら日本刀二本を提供したほか、久保組副組長藤原亀三郎に頼んで道具を借りるよう斡旋し、その結果球友会として猟銃、実包等の借り出しに成功するや、円野から、猟銃は喧嘩の張本人である山城にうたせる、ということの報告をうけ、これを諒承していたものであり、かつ久保組若者頭として、久保組々員ならびにさん下団体球友会々員のすべてを統括し、部署して相沢組々員の襲撃に備えていたものであることから考えると、右のように「どうして猟銃をうたなかつたのか」と電話で円野を叱咤することは、円野の報告にかかる相沢組々員が一台の乗用車に乗つて中本を訪ねてきたことは、同組が殴りこみのため球友会の様子を探りにきたことにほかならず、既に事態は殴りこみも同然の切迫した状態になつていることを前提として、そういう状態であるのにどうして発砲しなかつたのか、と円野らの緩慢な態度を責め、かつ今度相沢組が来たら必ず発砲せよ、と叱咤することであつて、しかも猟銃で相沢組々員をうて、という叱咤である以上、中本自身の殺意は暫く措くも、少くとも先に説明したとおり既に殺意を固めていた山城らに対しては、円野を介しこの叱咤を下達させることによつて、その殺意の強化をきたすことに帰着し、被告人中本の所為を山城らの殺人の幇助と認むべきことは当然である。したがつて原判決には事実の誤認はない。論旨は理由がない。

検察官の控訴趣意第一点について

論旨は、原判示第三の二、被告人中本の殺人幇助について、原判決の事実誤認を主張し、被告人中本は山城繁、円野正弘とともに殺人罪の共同正犯である、というのである。しかし原判決挙示の関係証拠によれば、被告人中本の所為はいまだ殺人の共同正犯と認めることはできず、殺人幇助と認めた原判決の判断はこれを首肯するに足り、当審事実取調の結果に徴するも、原判決に事実誤認あることを疑うことはできない。すなわち、右の証拠によれば、(一)中本は原判示第二の兇器準備集合において、久保組若者頭として中心的指導的役割を果し、組員を指揮して相沢組を迎撃する準備をなし、球友会事務所から引き揚げるに際しては、久保組若者頭池田政男とともに、球友会々員が残留して立て籠るべき事務所二階の状況を見分し、残留要員に対し、こもごも「相手が来たら見とおしはいいし、車から降りるところへ、ぶつぱなして射ち殺せ、」「喧嘩はたま(命)のとりあいや、こつちが先にとらなんだら、こつちがとられるのや」「この際じや、相沢組をいわしてしもうたれ、」などと叱咤したこと、および(二)被告人中本をはじめ久保組々員らは右の叱咤をおわるや準備した兇器はそのまま円野、山城らに託して球友会事務所を引き揚げ、中本は友人の末富隆司方に、その余の組員は九条の高砂旅館等にそれぞれ待機するうち、右に説明したとおり、中本が電話で円野を叱咤する一幕があり、中本はそのまま動かず待機を続ける間に、二台の乗用車に分乗した相沢組々員らが球友会事務所に来たり、山城が発砲して、本件殺人におよんだこと、その後中本は球友会事務所に電話して、既に現場に到着していた大正署員から猟銃発砲のことを聞き知つたことが認められる。そして(一)の事実から考えると、中本等が球友会事務所を引揚げる迄の間にあつては、同被告人は、若し同事務所が相沢組の襲撃を受けるような場合には、集合した組員と共に用意した兇器を以て応戦する意思はあつたと認められるが、この段階では未だ相沢組の襲撃も単なる予測に過ぎず、切迫した事態ではなかつたようであるし、中本らの方から先方を襲撃する意思は全然認められないのであるから、原判決も説明する如く、相手方に対する漠然たる共同加害の意思が認められるのみであつて、未だ殺人罪の共謀があつたものとは言えない。しかし、中本らが同事務所を引揚げる際の言動は中本の地位、池田とともに残留する球友会々員を叱咤激励したときの言辞の激しさ、その他の状況に照らし、所論のとおり右の叱咤激励の時点において、中本と、山城、円野らとの間に殺人の共謀が成立し、その共謀に基づいて山城において本件殺人を敢行したもので、中本もまた殺人の共同正犯たる罪責を負うものの如く解せられないでもない。しかし、中本は殺人の現場よりつとに引き揚げ、直接には殺人行為に何ら関与しない者であるから、その共謀共同正犯として罪責を問うには、所論が適切に引用するように、中本と山城、円野が一心同体となつて協心協力し、襲撃しきたる相沢組々員を殺害しようと企てた事実が認められなければならず、本件犯行が中本にとつても中本自身の犯意の具現であると考えられる関係でなければならない。しかるに、右の(二)の事実は、当面襲撃の目標と考えられる球友会事務所を、球友会々員のみに防衛させて、主力である久保組々員は、そこから引き揚げるのであるから、引き揚げの理由如何によつては中本ら久保組々員と山城、円野ら球友会々員との間の一心同体関係を破綻させる行動であるので、まずこの間の経緯を解明しなければならない。この点について中本は、原審第五五回公判において、当時、球友会々長瑞慶覧長康が旅行不在であつたため同会においては、喧嘩道具の準備ができず、同会幹部伊波和正から、久保組副組長藤原亀三郎や自分に対し道具の貸し出しを求めたので、藤原は猟銃一丁、自分は日本刀二本を貸し出した。そのあと、おおむね午後一〇時頃、伊波と、も一人の幹部である沢岻が藤原や自分に対し、「この喧嘩はもともと球友会の喧嘩や、久保組の喧嘩とはちがう、自分たちで話をまとめるから、久保組の人は帰つてほしい」と申し入れたので引き揚げた、と供述しているけれども、右供述は引き揚げが伊波、沢岻の申し入れに基づくとする点や、同人らの態度が球友会からみて上部団体である久保組の幹部に対する態度としては不遜にすぎ、文字どおりに信用できるものではないが、なお中本の四二年三月二〇日付検事調書中の、「午後九時過頃、円野が私の傍にやつてきて、『この場は一応球友会だけで堅めておきたいと思います、球友会のもめごとですから、球友会でけじめをつけます、ので本家筋の人や、球友会以外の人は一応引き取つてくれまへんか、球友会だけで手に負えぬようになりましたら、その時はお願いします』といいますので私としても円野のいうことはもつともだし道具の準備もできたことだし、一応私共は引き揚げ、いざという場合には助つ人にくる腹を決めたのです、円野は私に、『頭(かしら)、帰るまでに、二階の様子を見てくれますか、』というので、藤原、福江(池田を指す)、私の三人は二階に上りました、」(そして二階で所論の「叱咤激励の時」に該る池田、中本の円野、山城らに対する叱咤が行われた旨の記載に続く)という供述記載と趣旨において相通じるものがあり、さらに原判決挙示の関係証拠を精査すると、いずれも右の引き揚げについて、「午後一〇時半頃になつて、中本が皆に、『ここは球友会にまかせて、他の者は別のところに移つて、待機する、皆ばらばらにならんようかたまつとけ、』と申しました、私はどこに待機するにしても、喧嘩道具は必要だと思いましたので、中本に道具はどないするのか、と尋ねましたら、中本は『ここにおいとくんや』というので、手ぶらでシルバー(球友会事務所階下のバーを指す)を出たのです、球友会の者だけが残りました、」(昭和四二年四月七日付玉城英治検事調書)「午後一〇時過になつて、球友会の円野、沢岻、伊波、山城、豆田、伊佐、上間の七人が二階に上つて行き、また中本、藤原、福江、松井の四人がシルバーから球友会事務所(二階)の方へ行こうとするので、私が後からついて行こうとすると、中本が『大木の兄弟はそこに残つていてくれ、』というので私は店に残りました。暫くして中本、藤原、福江、松井の四人が帰つてきて、中本が、円野に『くんろくを入れたから大丈夫や、とにかくここは球友会にまかせて久保組は引き揚げよう、』と申しましたので、午後一〇時半過久保組の者がここを引き揚げたのであります、私も一緒に引き揚げました。」(昭和四二年四月一〇日大木盛雄検事調書)「午後九時半頃、中本が私に『もう帰つて下さい、かわつたことがあれば連絡します、』というので私は傍にいた球友会の円野に、『どんなことがあつても、お前とこの喧嘩やから責任をもつて、ちやんとせんといかんぞ』といつてやりますと、円野は『全責任をもつてやります、久保組の人には迷惑はかけません』というので私は喧嘩道具も揃えているし、あとを中本や円野にまかせておけば、相沢組の者が殴りこんできても、めつたに負けることはあるまいと思い、私と与那嶺が瑞慶覧の家(球友会事務所を指す)を出て、家へ帰つたのです」(昭和四二年四月一〇日付藤原亀三郎検事調書)「そのうちに藤原と中本が何か話しておりましたが、間もなく藤原が中本に、『それじや頼むぞ、と申しますと、中本は判りました、任せて下さい』といつておりました。そして藤原が私に引き揚げようというので、藤原さんと一緒に外に出て、藤原さんの車に乗りこんだのです、時間は午後一〇時すぎでした。車の内で藤原は私に、『ここは球友会の連中に任せて、引き揚げることになつた、お前は家で待機しとれ、久保組の者は他の場所で待機していつでも応援できる態勢にしておく』と申しておりました。私は家のすぐ近くで車から降り自宅に帰つたのです。」(昭和四二年四月一〇日付与那嶺栄康検事調書)と説明しており、これらの供述は多少の相違点はあるが、大綱においては、事の発端をなすだるまパチンコ店における山城らの喧嘩は、あくまで球友会々員の喧嘩であつて、久保組々員の喧嘩ではなく、したがつて当面攻撃目標と考えられる球友会事務所は当然球友会々員の手によつて防衛されるべきであつて、久保組としては喧嘩道具の貸し出し、喧嘩の要領、心構えの教示等支援はするが、直ちに久保組が正面から相沢組に対抗し球友会事務所にいつまでも立て籠つていることはないという考え方に基づく引き揚げにほかならない、という点でおおむね一致する説明であろう。もとより久保組々員を加え、約二〇名もの人数が球友会事務所に集合を続けることは、多数の集合体が自らかもし出す騒然たる雰囲気、雑音が近隣住民の感知するところとなり、ひいてはその通報に基づく警察官の出動、一斉検挙という最悪の事態の発生も考えられるから、これをおそれたという戦術的な理由もまた、引き揚げの一つの理由と考えることはできる。(昭和四二年四月一八日付、池田政男警察調書参照)そして所論は引き揚げの理由は一にかかつて右の一斉検挙をおそれたことにある、と主張するのであるが、もしそうだとすれば、球友会事務所の残留要員として平素から道具の用意もしていない喧嘩なれのしていない球友会々員のみに限定することなく、当然中本自身もしくは久保組のうち適当な一、二名を球友会々員とともに、残留せしめ、適切なる指揮をなさしめ、かつ別に待機する久保組主力との緊密なる連絡を保持せしむべきであろう。すなわち、騒然たる雰囲気を生じない程度に集合人員を減らすとともに、あくまで相沢組を迎撃するに違算なからしめるため、久保組々員のうち若干を残留させる配慮があつて然るべきところである。しかるに中本がその挙に出ないで久保組々員はこれを全部引き揚げさせ、残留して球友会事務所を防衛する者はすべて球友会々員とするという截然たる配置を行つたのは、むしろ球友会幹部(その直接の申し入れが円野からなされたか、伊波、沢岻からなされたか暫く措く)から、本家筋には迷惑をかけたくないから引き揚げてくれ、という申し入れをうけ、その意気を壮として引き揚げを決意したということ及び当時被告人中本も、被告人円野等球友会幹部も、もはや同夜は久保組の襲撃はないであろうとの情勢判断をしたことが主たる理由であると考えるほかはない。したがつて引き揚げの時点においては本件抗争は、所論のように「被告人中本にとつて、ことはもはや球友会の争闘を応援するといつたていどのものではなく、自分の組(久保組)の争闘、自分自身の争闘となつていたのである」といえるものではなく、かえつて球友会自身逐次会員が集合し、久保組の援助によつて武器が揃い、球友会の士気が高まり、ついに同会幹部より右のとおり中本らに対し申し入れがなされた段階において中本にとつては、所詮、抗争の原因は球友会々員がつくつたものであり、防衛せんとする事務所は球友会事務所にほかならない、という事実と相俟つて、さん下団体の抗争とはいえ、ことは他人の喧嘩というか、自分自身の争闘としては、余りに切実性、緊迫性をかいた事態に転落し、ここに中本としては、円野、山城らと一心同体となつて相沢組を迎撃しようとする決意は後退を免れなかつたと認めるに十分である。そしてこのことは引き揚げ後の中本の行動を検討することによつてさらに明らかとなる。すなわち、関係証拠によれば、中本は球友会事務所を出て、大木、辻本と共に池田の運転する車に便乗し、他の若衆は二台のタクシーに分乗させ、これを従えて九条方面の心当りの待機場所に赴いたが、ていよくことわられ、引返して大正中学附近に至り、ようやく若衆は組員玉城英治の知つている高砂旅館に待機させることに決し、若衆はそのまま高砂旅館に向わせ、自らは千島町交差点において、辻本とともに池田の車から降り、辻本と別れて知人末富隆司方に入り、そこから初めて自分の所在を球友会事務所に連絡したこと、池田、大木は池田の自宅附近のバー慶に入り、そこから球友会事務所に連絡し、大木はそこに泊り池田は自宅に帰つたこと、副組長藤原、その舎弟与那嶺は別にそれぞれ自宅に帰つたこと、中本らにおいて緊急の際、直ちに出動できるよう武器車両の準備はなかつたこと、末富方と球友会事務所とは車で約一〇分の距離にあつたこと、が認められ、この情況に照らすと、中本ら久保組々員は球友会事務所に相沢組の襲撃があれば、事態に応じて応援出動する、とはいつても、武器、車両の準備状況、中本の組員掌握の状況から考え、その応援出動の決意がどこまで真剣味を持つたものか疑わしく、ことに中本が末富方から球友会事務所に電話し、円野から相沢組の者が中本さんいるかと訪ねてきた、と報告をうけた時、情勢の切迫を感じとり円野に対しなぜ猟銃をうたなかつた、と叱咤しながら、自らは直ちに同会事務所に駈けつけるでもなく、久保組々員を招集するでもなし、何らの行動に出なかつたことから考えると、右電話の時点においては中本には球友会の山城、円野と一心同体となつて迎撃に出ようとする決意が存したとは認め難く、せいぜい電話で円野を叱咤激励し、円野を介して山城の殺意を強化する幇助の犯意を認めうるのみであるとしなければならない。してみれば、所論が重視する、いわゆる「叱咤激励の時」における中本、池田の叱咤激励は、既に引き揚げが決定したのちのことがらであり、中本としては、球友会事務所の防衛は球友会々員にやらせると決意したうえでの叱咤激励であり、所詮はいわゆるはつぱをかける趣旨の激語であり、煽動にすぎず、とうてい殺人の共謀と認めるに足りるものではない。この点に関する原判決の説明はやや不十分であり直ちには首肯できないが、原判決はさらに引き揚げの事情、引き揚げ後の球友会の中本らに対する依存の状況、中本の球友会々員に対する掌握の程度、武器の所在等を総合判断して、中本の殺人についての共謀を否定したもので、結局当裁判所もこれと結論を同じくすることは右に説明したとおりであるから原判決には何ら事実の誤認はないというべきである。論旨は理由がない。

弁護人辛島宏の控訴趣意第一点の一について

論旨は、原判示第八について、原判決の事実誤認を主張し、被告人中本には恐喝の犯意も、事実も、共謀もなかつたというのである。しかし、原判決挙示の証拠及び説明によれば、原判示事実は証明十分である。すなわち、右の証拠によれば、被告人は久保組々長浜村弘、副組長藤原亀三郎と共に、新たに開店したパチンコ店百万弗から、用心棒代(守り賃)という名目で金員をとりたてることを相談し、当初まず被告人と藤原が右百万弗に赴いて、支配人安永輝好に対し、「大正区内のパチンコ店は皆久保組が面倒をみている。久保組が面倒をみないと商売がしにくいぞ」「おやじに藤原がきたといつといてくれ」などと申し入れ、久保組の勢威を知つていた安永に暗に用心棒代を要求し、これを手始めに、中本において数回同店に足を運び催促したが、同店の経営者佐藤益太郎が右の金員を出すことをしぶつていたこと、昭和四〇年一月頃の久保組常会で、浜村、藤原、中本の間において浜村から、「百万弗の件はどうなつている、今まで何しとつた、早急に取るようにせい、」と強い督促があり、これをうけて中本は「わしに任せておいて下さい、もし用心棒代を出さなかつたら、若衆を指図してこてんこてんにやつたる、早急に取るようにします、」と答え、ここに中本は久保、藤原とともに右佐藤から用心棒代名下に金員を喝取することを共謀し、そのころ中本において百万弗に至り、右安永に対し「久保組をなめたらあかんぞ、おやじにいうてくれたか、面倒を見てほしいのか、ほしくないのか、はつきりしたらどうや、俺も組の幹部としてめんつがあるからな、」「月三万円や、」などと語気鋭く申し向け、同人および同人を介し佐藤に対して、この要求に応じないときは、久保組々員から、同店の営業に関しどのような妨害が加えられるか知れない気勢を示して脅迫し、安永、佐藤を畏怖困惑させ、よつて、中本において同年二月下旬頃から四一年五月頃まで、藤原において翌六月頃から四二年三月までの間、同店において合計二六回に亘り、いずれも安永を介して佐藤から毎月三万円ずつ合計七八万円を交付させて、これを喝取した事実を認めることができる。所論の佐藤益太郎の証言は、安永から中本らの要求を聞き、畏怖困惑した結果金員を交付することに決した次第を供述したものであつて、金員交付が畏怖困惑に基づくことの証拠として採用されたもので、被告人が用いた脅迫文句自体の認定のため採用されたものではない(この点の認定は原判決挙示の証拠中、安永の検事調書、被告人の司法巡査調書等によつたものと考えられる)から、伝聞証言を採用したとする非難はあたらない。また所論の安永輝好、大木盛雄、池田政男の証言等については原審が他の証拠と比較検討の上信用しなかつたことは、原判決の説明するとおりと考えられ、且このような判断に不合理な点は認められないから、所論はひつきよう原判決が適正にした証拠の取捨選択を非難するに帰し、採用できない。その他原判決には何らの事実誤認はない。論旨は理由がない。

弁護人辛島宏の控訴趣意第二点について

論旨は原判決第二、第三、および第五の事実につき法令解釈の誤を主張し、原判示第二の兇器準備集合、第三の殺人幇助はいずれも身体に対する侵害行為に向けられた一連の行為であつて牽連犯と解すべきであるから、これを併合罪として処断したことは誤りである。原判決は原判示第五においてダンプカーを兇器と解したが刑法二〇八条の二にいわゆる兇器とは、社会通念上生命身体等に対する故意の侵害に利用されることが客観的外形的に判然としている道具のみを指すと解すべきである、というのである。

よつて案ずるに、(一)原判決が原判示第二の兇器準備集合と第三の殺人幇助を併合罪として処断したことは所論のとおりであり、また兇器準備集合は、構成要件上は他人の生命身体財産に対し共同して害を加えることを目的とする罪であつて、殺人傷害等の加害行為は、その目的の実現であるから、一見両罪の間に通常手段結果の関係があるように考えられるが、兇器準備集合は個人の生命身体財産を保護法益とするにとどまらず、社会生活の平穏、公共の安寧を確保することも保護法益とするものであつて、必ずしも加害行為の罪と保護法益を共通にするものではない。したがつて兇器準備集合は単に殺人、傷害等の手段として評価されつくしてよいものではなく、又両罪の罪質上、両罪が通常互に手段結果の関係に立つものではないのであつて、原判決の確定した事実関係のもとにおいては、原判示兇器準備集合と殺人幇助とは、牽連犯ではなく、併合罪と解すべきである。(昭和四三年七月一六日第三小法廷判決参照)これと同旨の判断に出た原判決には何ら法令解釈の誤はない。また(二)刑法二〇八条の二にいう「兇器を準備し」とは同条制定の趣旨が、集団的殺傷事犯を未然に防止するにあり、銃砲刀剣の取締のみでは、達成し難い面をも、規制の対象とするにあることから考え、単にいわゆる性質上の兇器、すなわち銃砲刀剣のような物を準備した場合のみならず、いわゆる用法上の兇器、すなわち棍棒、鉄棒のような、本らいは人を殺傷するための器具ではないが、闘争に用いれば、人を殺傷するに足りる器具をそのような用法で、使用すべく準備した場合をも含むものと解するのが相当である。ところで原判決が本件ダンプカーを兇器と解したことは所論のとおりであるが、原判決挙示の対応証拠によれば、「本件ダンプカーは六トン積みの大型車両であつてその大きさ、形状、馬力に照し、これを走行させて目的物件に衝突させれば人を殺傷し、あるいは普通乗用車を破壊するに十分な能力を備えていることが明らかであるところ、被告人らは多数の相沢組々員が乗用車に乗つて南方道路上から久保組事務所に殺到すべきことを予測し、その時は本件ダンプカーを発進させてこれに衝突させ、同組員を殺傷すべく計画し、ダンプカーを久保組事務所前路上やや北方に南向きにおき組員佐藤吉男、吉直早人をこれに乗車させ、いつでも発進できるように、エンジンをかけたまま待機していたことが認められるので、このような状況でダンプカーを準備したことは、これを刑法二〇八条の二にいう「兇器を準備し」にあたると解することが相当であつて、これと同旨の解釈に出た原判決の法令解釈には何らの誤はない。」論旨は理由がない。

弁護人竹内勤の控訴趣意第二点、弁護人豊岡勇の控訴趣意第二点、弁護人武田隼一の控訴趣意、弁護人辛島宏の控訴趣意第三点、検察官の控訴趣意第二点について

論旨はいずれも原判決の量刑不当を主張する。よつて記録を精査し各被告人ごとに判断を加える。

被告人山城の犯行は、だるまパチンコ店における山本和夫に対する傷害事件、球友会事務所における兇器準備集合事件、ならびに殺人事件、その際の猟銃、実包の所持であるが、そのうち殺人事件は、銃器を用いた殺人事件で、人家密集地区で猟銃を二回発射したため、約二六メートル距る、球友会事務所向い側の尾崎幸枝方にまで散弾一四発が射ちこまれ、一般市民にも重大な脅威をあたえた犯行であるうえ、殺人の被害者田中歳和は年齢僅かに二二才、しかも相沢組々員として球友会事務所を襲撃にきたものとは必ずしも判断できない状況下において機先を制して放つた被告人の弾丸によつて一命を失うに至つたもので貴重な人命を奪つた点において、被告人の刑責は重大であるとしなければならず、弁護人の指摘する球友会における下級組員として、その場の雰囲気に圧せられ、又幹部の指示により猟銃を持たされ犯行におよんだという事情を考慮しても、被告人を懲役七年に処した原判決の量刑が重過ぎるとは考えられない。しかしながら、球友会の幹部であつて、被告人山城に猟銃の操作を教え、かつ球友会の襲撃をうけたときは自らこの猟銃を用い迎撃すべきことを感得させ、そのうえ猟銃発射の現場において、発射殺害を逐一督励し、自ら発砲したも同然の地位にある円野正弘に対する科刑が懲役六年にとどまることを考えると、いかに直接の実行者とはいえ、円野の刑との均衡の点からみても、被告人山城に対してのみ厳刑を科することはできず、検察官の指摘する被告人は無為徒食のやくざというに近い事実を考慮しても、原判決の量刑が軽過ぎるとは、考えられない。論旨はいずれも理由がない。

被告人円野正弘の犯行は、球友会事務所における兇器準備集合ならびに殺人事件、およびその際の猟銃、実包の所持であるが、被告人は久保組々員が引き揚げた後は、伊波、沢岻らとともに球友会幹部として引続き、兇器準備集合事件において中心的役割を果し、とくに殺人事件において山城に対し猟銃の操作を伝授し、発砲を促がし、山城が一発射つて二発目の発射に手間どるや、俺にかせ、といつて自ら発射しようとする等犯行における積極性、指導性を発揮し、直接の殺人実行者と何ら選ぶところのない行動をとつているのであつて、その刑責は山城に劣らず重大であると考えられ、弁護人の指摘する被告人は正業につき改悛している等の事情を参酌しても被告人を懲役六年に処した原判決の量刑が重過ぎるとは考えられない。論旨は理由がない。

被告人豆田嘉兵の犯行は球友会事務所における兇器準備集合、ならびに傷害致死事件であるが、被告人は昭和三六年三月八日羽曳野簡易裁判所において窃盗罪により懲役一〇月(三年間刑執行猶予)に処せられ、三八年二月四日奈良地方裁判所葛城支部において、住居侵入強盗未遂窃盗私文書偽造同行使詐欺の各罪により、懲役二年および六月に処せられ、右執行猶予を取り消され、順次各刑の執行をうけ、四〇年七月三〇日各執行をうけ終つたものでありながら、僅か一年有半にして本件犯行におよんだものであること、被告人は四一年一〇月頃からパチンコにふけり無為徒食していたこと等諸般の事情を考えると、弁護人の指摘する既に正業について更生しようとしている等の事情を参酌しても被告人を懲役二年六月に処した原判決の量刑は重過ぎるとは考えられない。論旨は理由がない。

被告人中本章悟の犯行は、球友会事務所における兇器準備集合、殺人幇助、藤原亀三郎方における兇器準備集合、赤嶺栄方ならびに久保組事務所における兇器準備集合、日本刀二本の不法所持、けん銃一丁、実包四発の所持、パチンコ店百万弗の経営者佐藤益太郎に対する恐喝、柏木末子に対する脅迫事件であるが、被告人は各兇器準備集合事件において、いずれも久保組若者頭として、主動的地位を占め、組員一般を統括し主犯としての役割を果したほか、恐喝、脅迫事件において、いずれも久保組の勢威を利用して善良なる市民の生活に大きな脅威を与え、ことに佐藤におよぼした被害は合計七八万円という少からぬ金額に達しており犯情悪質というべきところ、殺人幇助における幇助行為はさきに説明したとおりであつて被告人の地位、叱咤の内容から考えて円野、山城らに深刻な影響をおよぼしたと認められ、その罪責は重大といわなければならず、被告人の従来の生活態度等諸般の事情をあわせ考慮すると、弁護人の指摘する本件兇器準備集合等は防禦的性格を有したこと等の事情を参酌しても、被告人を懲役六年に処した原判決の量刑は重過ぎるとは考えられない。また検察官の論旨は、主として殺人の訴因がそのまま認定されるべきことを、前提として量刑不当を主張するものと解せられるが、原判決の認定にかかる殺人幇助の点は事実誤認というを得ないことは、さきに説明したとおりである。そして殺人幇助の認定を前提としてその余の各事実をあわせ検討するときは、論旨の指摘する被告人が典型的暴力団員である等の事情を参酌しても被告人を懲役六年に処した原判決の量刑は軽過ぎるとは考えられない。

論旨はいずれも理由がない。よつて、刑事訴訟法三九六条により本件各控訴を棄却することとし、被告人山城、同円野、同中本に対し当審における未決勾留日数の算入につき、刑法二一条を各適用し主文のとおり判決する。

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